時々、昔は良かったとか、全部昔に戻せば、今世の中で起こっている問題は解決するんじゃないか…という人も居ますが、それは単なるノスタルジーだったり、過去の時代にあった問題はそのままに引き戻そうとするだけの安易なアイディアなんだと思います。考えるのが面倒になった「思考停止状態」なんだなと。

しかし、過去を全否定するのも、またどうかなと。今の時代に、過去の事例を生かして、よい未来にってのは十分にあると思います。

となると過去を知らなくては…なんですが、結構大変な話。これだけネットワークが発展したとしても、かなりの資料はまだ紙の中で、その紙の束は図書館の閉架の中だったりしますし。最近の動きとして、順次電子化されているところもあると聞きますが、はてローカルなものはそれほど進んでいないのかも。

ブックスキャンみたく自炊の話にもつながりますが、結構な手間です。それを地方自治体で予算化できるか?というとどうなんだろう。あまり利用されていない資料を優先的に電子化なんてしなくていいじゃないの、となりそうな気がします。もっとお金の必要なところはありますし。

でも、そういう資料って、存在が知られていないから、使いにくい状態だから使われないということもあるし、今後のその地方とかを考えるときに、昔に同じような話が出たことがないか、同じ間違いを犯していないか…とか、市民が広く知っていると物事がスムーズに的確に進むかもしれない。

まぁ、理想論かもしれない。

けれど、原子力の話にしても、「原子力は必要か」「原発は平和利用か」「原発は安全なのか」「原発は火力や水力より安価なのか」同じような話が繰り返されています。過去に原発の候補地となって結果原発を作らないことになった街は、どういうプロセスだったのか、なんとなく知りたい。その土地の昔を知る人に聞けば分かるかも。でもそんな人がもういなかったら、将来同じような話が繰り返されるかも。

過去のすべてを、今の自分たちの知識にすることは難しいけれど、今ローカルで起きていることの解決策が、地球のどこかの村の知識の中にあるとしたら…。

そういう風に利用されていくとよいのになと思うところです。

Written by Coga

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