反対派でも、賛成派でもない。そんな自分。なにしろ「死刑になるために殺人する」という身勝手な犯人もいたりするわけですし。
殺人そのものが、大抵、犯人の身勝手なんですが…(正当防衛でない限りは)。
「この条件を満たすと死刑になるよ」なんてものが存在してはいけないと思います。

今回最高裁で結審した母子殺害事件でも、報道の中で永山基準が持ち出されて「4人に達しないと死刑にはならない」「18歳になったばかりだと死刑にならない」かのような誤解を生むのはどうなのかなと、正直なところ思います。今の(昔も?)18歳という年齢が、善悪の判断が付かないほど未熟なのかとも思いますし。18歳と1日と17歳と364日の差はそれほどに大きいわけではない。18歳という基準は、17〜18歳の間には概ね大人の判断が出来るまでに成長しているであろうというだけの話。法律上の線。

もちろん18歳以上であっても判断を誤ることはある…。でも18歳スレスレだからこその更正可能性なんだろうと。今回の犯人も更正可能性はゼロではないんだろうと思います。もともと報道の方向性自体も疑って掛かった方がいいとは思いますが、あの手紙が出てすっかり心証が悪くなってしまったということは本人も後悔しているだろうと。手紙の内容が本心であれば、それは最早「性格」なのかもしれませんが…。

遺族が、表に特に姿を現さず、訴えることがなかったならば世論はどうだっただろうか、とも考えます(もちろん批判ではないです)。
今回は、多くの人の心に訴えるものがあり、どうしても被害者側の気持ちになる。もちろんその気持ちは人として自然。でもこれが裁判員裁判だったなら、そういう世の中の流れに押されて「死刑」となってしまうのではないかと。裁判員もそのことに悩むとは思いますが、裁判官ほどドライになれない(ただ、今回は世の中に流されまいと抵抗した結果、無期懲役の判決になったと考えるのは、考えすぎでしょうか)。

でも、結論はやはり死刑は致し方ないような気がしています。
何年か経てば社会に復帰できることが多い「無期懲役」では不十分だろうという気はするから。
ただ、法律通りには死刑が執行されない日本では、執行までの間は「終身刑」の状態。
(かといって「終身刑」を作ることに賛成するか?というとそうでもないですが)

永山基準、そろそろ“廃止”していいんじゃないでしょうか。法律じゃないけど、判例主義にも期限はあると思う。
滅多に起こらないような事件だからこそ、そのとき、そのとき、丁寧に判断を。40年前の基準に照らすのでなく。

ま、法律のプロでもアマチュアですらないので、このくらいにしておきます…。
書きながらも考えが定まらないので。

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十戒にある「汝殺すなかれ」に「死刑制度」は反しているという考えで死刑に反対する人もいるかもしれませんが、「汝殺すなかれ」を犯人となる人が守ってれば「死刑」を考える必要もないのですよ、とも思う今日この頃です。

Written by Coga